気のゆくまま筆のゆくまま

日々感じたことを書きます。

まつろわぬ民―現代のマウント民族―

 

・誇り高いひとびと

かつて、まつろわぬ民と言われたひとびとがいた。奈良朝・平安朝期に、いわゆる律令制国家に従わなかった集団のことである。彼らはみずからの郷土や民族(あの時代にそんなものがあったかどうか)的アイデンティティに誇りをもち、長い間決して「中華」たる中央王朝に従おうとはしなかった。

むろんそんな集団は現存しないが、それに近しい精神のもと、叫び続ける者たちがいる。これは、私が知っている、その一端を占める人間のはなしである。

 

・孤高な天才

・出廬

彼は氷河期世代として纏められる人間だ。だが芸術家であり、創作活動を人生の柱としている。彼はまるで三島由紀夫のような浪漫派であり、また作家でもある。だが、本人いわく「周囲が自分を妬み」、大学卒業後、廿余年の隠棲と創作の日々を送っていた。

だが、社会は彼の生活を変えてしまった。一億総活躍社会・一生現役など、政府が扇動した同化政策によって、まるで仙人のような生活は終わりを告げたのだ。

公的・非公的な支援機関に放り込まれ、よりによって「クリエイティブでなく、誰にでもできる」事務職に斡旋されたのだ。投稿小説がアニメの原作として盗用されたほどの文章力と構想力がある(らしい)彼にとって、つらい日々が始まった。

 

・不条理

彼は正義感が強く、合理的な人間である。だから、労働という下層生活者が行う行為をやっていても、自然と効率化を図ってしまう。しかし社会はまるで出鱈目であり、彼を受け入れようとはしない。なぜなら彼は嫉妬されているからだ。

非論理的な事務能率を飛躍的に向上させるアイディアを彼は持っていて、上司や同僚に積極的に提案する。彼は枠に囚われない人間なので、どんな相手であっても陰ひなたのない態度で接し、いつでもプレゼンを始める。しかし周囲はそれを受け止めない。「なんて不条理だ、周りはなんて馬鹿なんだ…」というのが、彼が独り言をいうときの口癖である。

 

・垂訓

才能のない人間は、天才を受け入れない。法律や社会的慣習を盾にしてまともに応対しない。だが、彼は不屈の精神で、自己正義を元にして周囲を変えようとする。そんな彼のことを、会社や世間は鼻つまみにする。だが、社会変革は使命だ、自分にはそれができるだけの才能がある…かくして、彼は不条理な社会や無知蒙昧な人民と闘うのだ。

例えば、会社は不誠実な人間の集まりである。彼への反応と上司への姿勢、客の応対…すべての態度が違うのである。何故客は丁重に扱うのに、自分に対する敬意はないのか。ゆえに彼は提案する。

「全ての人間に対して丁寧に接しましょう。僕だってこんなところで働いてあげてるんですから。皆さんにも敬語でしょう?」

だが無視される。

でも彼は説法が好きだし、アイディアマンだから思いついたらすぐ提案する。例えば判子の省略が進んでいるのだから、高額商品の契約時にも、身分証を略したらいいのではないか。そのときたまたま提案を受けた私はこう返した。

「それなら本人であるという証明はどう取るんです」

彼は言った。

「簡単ですよ、色々な方法があります」

以下、会話と彼の独白。

「その方法を知りたいのですが」

「沢山あるのだから自分で調べて下さい、調べられないんですか。やっぱりHkeibaさんってクリエイターじゃないんだな…」

そうして他の人々にも教えを垂れるのだが、無知な人々に悉く無視され、彼は何故か窓際に追い詰められている。

 

・現代のマウント民族

創造的天才たる自分が、会社に利益を、周囲に訓戒をもたらしてやろうとしているのに、周りは相手しない。折角低姿勢になっているのに、というのが彼の言い分である。彼は趣味でも誇り高い。小説を書けば「誰にも負けない」し、電車の撮影で賞を取ったこともある。女性声優の声も簡単に聞きわけられる。

だから、周囲はどうしても自分より目下で(確かに課長級以下の社員は大抵年下だ)、才能も劣っているのに言う事をきかない。彼に

「周囲が馬鹿に見えてしかたないんです。むろんH_keibaくん(発言ママ)も。どうしたらいいのでしょう」

と相談されたことがある。フカシなら私の精神衛生上どれだけ良かったか。

私は医者に行くよう勧めたが、彼は医者も「たかだか大学で勉強しただけの無能」に見えてしまう。孤高で知的で高貴な精神を持っている彼は、精神的に他人の上に立ち、下界を見渡している。すべてが下に見えるというのは、果たして幸せなんだろうか。