気のゆくまま筆のゆくまま

日々感じたことを書きます。

【小説紹介】宮本輝『優駿』

イントロダクション

ウマ娘」の影響もあり、巷は数年ぶりの競馬ブームに沸いている。クローズアップされる過去の名馬たち、ファンの後押しもあって進展していく引退馬支援、推し活と融合したかのように見える「UMAJO」戦略…一つ一つを見れば実に結構なことだ。

しかし光には必ず闇が従う。華やかな競馬会の裏には、淘汰される馬の悲哀、関係者による相克、富豪同士の争い、様々な悲喜劇が幾重にも重なっている。そんな光と闇を描いた作品が、宮本輝優駿』である。

 

 

宮本輝は言わずと知れた現代小説の大家。この作品も単なる競馬小説ではなく、社会小説・経済小説・群像劇・成長物語の要素を織り込みながら、雄大な作品に仕上がっている。

中小牧場に産まれた一頭の仔馬がきっかけで、人々がさまざまな運命に出会い、背負い、歩いて行く様を活写した名作である。

今回は私の「推し活」の一環として、この小説を布教すべく筆を取った。興味を持たれた方は、この小説と似通うところのあるノンフィクション『銀の夢』と共に一読して頂きたい。競馬に関する解像度が格段に上がるはずだ。

 

 

なお、この小説を原作とした映画がある。

 

 

だが尺が短く消化不良な映画となっているため、観るなら映画⇒小説の順で味わうことをおすすめする。逆ルートは推奨できない。というより止めた方が良い。

 

能書きが長くなった。以下、あらすじと登場人物紹介を行う。

 

あらすじ

静内の、シベチャリ川の畔にある「トカイファーム」では、牧場主の「渡海千造」が作り上げ、重賞戦線で好成績を残した虎の子の牝馬「ハナカゲ」に、有力で高額な種付け料を誇る種牡馬「ウラジミール」を配合した。ハナカゲは優秀な競走馬ではあったが繁殖にあがってから不受胎が続いていて、この配合は種が付くか付かぬか分からないハイリスクな賭博であった。

千造の息子「博正」の祈りが通じたか、一世一代の賭けが当たって、ハナカゲは受胎した。その後の経過もまず順調で、サラブレッドが出産する季節、四月半ばを迎えた。

渡海家ではその頃、ハナカゲだけではなく長女の「聖子」や犬の「ペロ」までお産を迎えて大童だったが、関西の馬主「和具平八郎」が来訪する予定であった。

その忙しいさなか、博正は祈った。

『どうか安産でありますように。生まれる仔馬が牡馬でありますように。風の精の申し子のように速く、嵐みたいに烈しく、名馬となる天命をたずさえた仔馬でありますように。…(中略)…姉の聖子も安産でありますように。ペロも無事に子犬を産みますように』

渡海一家や獣医の「横田」、そして和具と娘の「久美子」が見守る中、祈りに包まれた真っ黒な牡馬が生まれた。博正は震えた。彼が想像していた通りの格好だったからだ。

父ウラジミールの特長をよく受け継いだ、「祈り」のもとに産まれた仔馬を巡って人々が動き始めた。

 

おもな登場人物紹介

渡海家をめぐるひとびと
  • オラシオン…本作における主人公の一馬。父ウラジーミル・母ハナカゲという良血。幼名はクロ。漆黒(青毛とも書かれる)で雄大な馬体としなやかな筋肉を持ち、名馬の素質がある。ふとした切っ掛けで日本一の「吉永ファーム」でトレーニングを行うことになる。馬名は平八郎の秘書「多田時夫」が付けたもので、意味はスペイン語で「祈り」。

 

  • 渡海博正…本作における主人公の一人。渡海一家の長男で、聖子の弟。高校を卒業したばかりの若者で、トカイファームの跡取り。東京にも行ったことがないような、久美子いわく「ジャガイモ」「アホジャガ」。情熱家でトカイファームを一流の牧場にすると意気込む。シベチャリ川に祈る習慣があり、不思議な縁で結ばれたオラシオンに対して特別な思いを抱いている。美人で都会的で自由闊達な久美子に一目惚れして、惹かれていき、いつか思いを打ち明けると誓う。

 

  • 渡海千造…渡海一家の主でトカイファームの牧場主。何とか牧場のやりくりをしながら、時折借金をしてでも博打的な配合を試みる生産者。気の弱いところがあり、さまざまな物事をめぐって調教師に押し切られる時もある。

 

  • 渡海タエ…千造の妻。夫よりも気丈な女性。馬産、特に出産に関する眼は熟練していて、いつ頃お産になるかを当てられる。

 

和具家をめぐるひとびと
  • 和具平八郎…本作における主人公の一人。大阪で和具工業を営む実業家。父親の跡を継ぐ際、金策に窮する余り高額な馬券を買い、その金で盛り返した経験がある。その時の騎手が「増矢武志」であったことから、その後偶然知り合った調教師転身後の増矢に馬を預託している。競馬から足を洗うつもりであったが、クロの出産に立ち会い、どうしても惹かれるものがあって購入を決意した。

 

  • 和具久美子…本作における主人公の一人。平八郎の娘で相当な美人。自由闊達な性格だが、自分の美貌を利用出来るしっかりした人物。当初は同年齢の博正を歯牙にもかけない感じだったが、その実直さに惹かれていく。一方、父の秘書の「多田時夫」にも惹かれる部分がある。父からオラシオンを譲り受けるが、弟の「田野誠」の生きる希望にしたいと、オラシオンを譲渡する契約を結ぶ。

 

  • 多田時夫…本作における主人公の一人。和具工業の社員で平八郎の秘書。既婚。幾分とっつきにくく、端正で知的で落ち着いた容貌の持ち主。温かみと冷厳さを併せ持つ印象の人物で、とある事情から「ピノキオ」というあだ名がある。オラシオンの名付け親。生い立ちや女性関係を巡る暗い過去がある。平八郎に信頼され、誠に関する秘密を打ち明けられている。

 

  • 田野誠…平八郎が愛人の「京子」との間に作った子供。10代中盤。重い腎臓の病気を持っていて、人工透析を受ける。複雑な事情があり多田を信頼しているが、父の存在を知らない。

 

 

北海道の生産者
  • 吉永達也…最大規模の牧場で、将来は日本を席巻するとみられる「吉永ファーム」の主。傲岸であくが強く、アメリカやヨーロッパでも知られた名ホースマン。ノーザンダンサーの血に最も早く着目した一人で、その仔セントホウヤを購入、名種牡馬として活躍させる。博正を気に入っていて、オラシオンの育成を引き受ける。明確なモデルが存在する登場人物で、社台グループの祖「吉田善哉」がモデル。セントホウヤはノーザンテーストがモデルと思われる。

 

  • 藤川伝三…帯広の名生産者。80代後半。70年間馬作り一筋に生きてきた老人。相馬眼は非常なもので、馬の評価にはお世辞を言わないがオラシオンを見て感嘆する。実直な渡海一家のことを気に入っている。

 

 

競馬関係者
  • 増矢武志…栗東トレーニングセンター所属の調教師。元騎手。息子は現役騎手の「光秀」。まず一流の調教師とされるが、馬よりも金を重視するとも評されあくどい。怪異な外見と日ごろの振る舞いから、親子ともども久美子に嫌われている。調教師転身後に馬を預託して貰った関係上、平八郎に恩義がある。

 

  • 増矢光秀…関西所属の騎手。腕はそれなり。捻じれた性格で他のジョッキーから毛嫌いされている。とある行為をして以降、久美子に憎まれるほど嫌われている。それでも久美子に懸想しているが、余りにどぎつい手法を使うため彼女と周囲の嫌悪をより濃くしている。

 

  • 砂田重兵衛…栗東トレセン所属の調教師。一流の調教師で、名伯楽と称される。金よりも馬を重視し無理をさせない。しかし金にはがめつい。外見には愛嬌があるが厳格な性格で、人を人とも思わないところがあり敬遠されることもある。

 

  • 奈良五郎…砂田厩舎所属の騎手。クラシック戦線に乗った「ミラクルバード」という馬に乗ってから技術が開眼したが、降ろされる。ある事件がきっかけで覚悟が座り、度胸のある騎乗をするようになった。

 

  • 荒木…奈良の先輩で名騎手。年齢は重ねているが未だにトップジョッキーの地位を維持している剛腕。影に日向に奈良を助ける義侠心の篤い性格で、人望が厚い。

 

おわりに

以上粗々ながら概要を述べてきたが、先述したようにこの小説は単なるギャンブル小説ではない。

宮本輝が好きな人、あるいは私小説以外の現代小説が好きな人には合いそうな良作なので、気になった人は是非読んで欲しい。ただし、仮に観るならば、映画版を必ず先にすること。小説⇒映画の順でやるとがっかりする。