・神武天皇について
神武天皇は初代天皇。伝承によるといまから2,700年ほど前に即位し、日本国を作ったとされる人物だ。
日向国(現宮崎県)に生まれ、一族や家臣を率いて建国にふさわしい地、つまり倭の地へ向けて東征し、長髄彦や土蜘蛛などの敵を滅ぼした後天皇となった。その後は畝傍山の麓に都を営み、国作りに尽力した後亡くなったとされる。享年は127歳で、明らかに恣意的な操作の跡が見られる。
なにぶん古い出来事すぎて「古事記」「日本書紀」を編纂した時代ですら既にいつ頃の話か分からなくなっていたらしく、上記の年代は相当巧緻に作り上げられたものだ。上記の二書が編纂された時代には辛酉の年に革命が起こるという説が広く流布されていたため、それに応じて即位の年を調節した、というのが有力な説である。
いずれにせよ古代から近代にかけて建国の祖として崇敬を受け、軍国主義下においてはナショナリズムの道具として使われた人物である。
実在性は怪しいものの、モデルになった人間は間違いなく存在する。そんな神武天皇ゆかりの畝傍山周辺にあるのが、橿原神宮と畝傍山東北陵である。
・橿原神宮について
橿原神宮の歴史は意外と浅い。創建は明治23(1890)年のことで、近代を迎えて高揚していた愛国主義の発露として、皇祖たる神武天皇の宮殿があったとされる地に作られた。祭神は神武天皇と皇后の媛蹈鞴五十鈴媛命。
この社の開発・発展については様々な暗い話があり、畝傍山にあった被差別部落が不都合であるとされて強制移転させられた(とされる)事件や、前に紹介した畝火山口神社の遷座などがある。
いずれにせよ明治国家が威信をかけて作っただけあり奈良県(あるいは全国)有数の神社であることは事実である。また建国の英雄を祀るという特殊性から、常に多くの参拝客で賑わう。
・鳥居
ここからは神宮の紹介。入り口は主に三つで、第一に正面の表参道にある一の鳥居および二の鳥居がある。バスや電車で来た場合にはこの鳥居から入ることになるだろう。
次に紹介するのが北の鳥居だ。表参道から道路沿いに進むとこの鳥居に行き当たる。後述する神武天皇の陵墓、畝傍山東北陵に詣でた後で参拝するなら、ここから北参道へ入る。
最後に西の鳥居を紹介する。ここの外は住宅街で、懿徳天皇や安寧天皇の陵がある。私のように畝傍山の周囲を一周した後参拝する、という人はここが入り口だ。西の参道は砂利道なので、あまりおすすめしない。
・神門
鳥居を潜ったら、神門を通って拝殿に向かうことになる。南神門は表参道と西参道に通じているので、ここから入ることが多いだろう。北神門は基本的に北参道から入ることになる。いずれも手前に手水舎があるので、ちゃんと清めて入ろう。
・外拝殿
神門を通ると、いよいよ参拝だ。外の拝殿は相当立派なもので、賽銭箱や神札授与所などがすっぽり収まっている。この中から内側の拝殿に向かって拝むことになる。
・内拝殿
外拝殿から内拝殿を経た本殿を拝む。周辺は廻廊になっているが、おそらく基本的に解放されている。本殿も立派だが、近くへ行くことはできなかった。七五三などの祈祷を頼むと入れるのだろう。
・その他末社など
長山稲荷…祭神は宇迦能御魂神・豊受気神・大宮能売神。神宮が出来る前からこの地に鎮座していた稲荷神社で、地元の人々から崇敬されているとか。西参道の最後の方にある。
神饌田…祭事に使う稲を収穫するための田んぼ。西の参道、鳥居から入ってすぐのところにある。
深田池…古くから近隣の水源になっている。神社の景観に一役買っている。釣りをしている人やジョギングをしている人がいて、憩いの場になっているようだ。
・畝傍山東北陵(神武天皇陵)の紹介
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ここからは畝傍山東北陵の紹介。神武天皇の陵とされている古墳で、宮内庁の分類によれば円丘。神武天皇の実在と事績が説話的なことを考えるとこの陵が彼の陵である可能性は低いのだが、それでもこの地域の有力豪族が葬られていることに変わりはない。参道は長めでいろいろな生き物がいる。
・おわりに
神武天皇は建国の祖であるだけに毀誉褒貶あるが、個人的にはその事実だけで尊敬に値する人物だと思う。彼が居たとされる場所に行き、見ることで浮かぶ思いもあるだろう。実際に古代遺跡の発掘が多い地域であり、考古研究所と博物館も併設されているので、神社の参拝後は遺物を見ながら思いをはせるのも良い。
・参考サイト