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神社に行った話…越谷香取神社

今回参拝した神社…越谷香取神社

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大沢香取神社拝殿

・越谷香取神社について

今回訪れたのは越谷香取神社。近隣では子宝祈願や骨董市で有名だが、最近新しく看板が立っていた。幅の広い祈祷をしてくれるらしい。

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やってくれる祈祷一覧。

言い伝えでは応永年間創建。南北朝の戦乱終結直後、足利義満の晩年に造立されたとする。以前の記事にも書いたが越ヶ谷郷は交通の便が良く、下総とも連絡していたため香取神宮から神々を分霊してもらったものと思われる。越ヶ谷に関する以前の記事はこちら。

h-keiba.hatenadiary.jp

話を戻そう。主祭神は経津主大神。大国主の国譲り説話における相手役である。

また合祀神は以下に列挙する15柱。

 

菅公・木花開耶姫命・譽田別命・火産巣日神・崇徳院大山祇命市杵島姫神・八心思兼命・河菜姫命・大雷神・高龗神・伊邪那岐命伊邪那美命

 

かつては鷺後(さぎしろ)にあったが江戸期に奥州街道が整備されるに伴い、現在地に遷座。これは寛永年間のことらしい。その後安政地震等の天変地異を乗り越え現在の社殿は慶応二(1866)年から明治元(1868,9)年の期間で作られている。

近年は東武北越谷駅に広告を出し、先述のように地域の子宝・お産の神として親しまれている。以下、拝殿ほかの紹介。

 

・一の鳥居

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一の鳥居。年代未詳。後ろを見られず。

一の鳥居。右側には旧日光街道が通る。年代未詳なのは、後ろに回ろうとしたらカラスに襲われたからである。この社のある北越谷駅近隣は、いまカラスやムクドリに悩まされている。

 

・二の鳥居

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二の鳥居。額は「天満宮」。

二の鳥居は、おそらくどこかの天満宮から持ってきたものらしく、額の字は横書きの「天満宮」である。おそらく文化文政時代のもの。

 

・三の鳥居

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三の鳥居。扁額はない。

三の鳥居。シンプルな石鳥居。文化三(1806)年四月とある。

 

・拝殿

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拝殿。先述の通り明治元年のもの。

拝殿。赤く程よい大きさ。普段は三つ巴紋が掛かっていることもあるが、この日はなかった。後述の本殿と一緒で、彫刻が越谷市指定有形文化財に指定されている。

 

・本殿

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本殿。映りが非常に悪いけれど、筆者の器量では限界だった。

胸札には慶応二(1866)年とある。江戸は浅草山谷町の職人が掘ったもので、モチーフは七福神と思しく見ごたえがある。越谷市指定有形文化財

 

・その他末社など

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本殿の彫刻。得も言われぬ迫力。

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楽殿。造立年未詳。市史を見ればあるかしらん。

 

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稲荷神社。駐車場の横にある。小さい。

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神輿殿。神輿が入っている。七五三モード。

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手水舎。作られた年は未詳。疾病対策で今は使えず。

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八坂神社。江戸時代創立との伝承がある。町の守護神だとか。

 

・おわりに

この神社がある北越谷駅は、前に紹介した久伊豆神社の最寄りである。

二つ合わせて参拝してみても面白いかもしれない。

 

・参考サイト

埼玉県越谷香取神社|安産祈願・七五三等 | 安産、七五三、厄除け、お宮参り、スポーツ必勝、骨董市なら、埼玉県 越谷市 越谷指定文化財 大沢香取神社