気のゆくまま筆のゆくまま

日々感じたことを書きます。

接客経験は人間を優しくしないかもしれない

 ・接客経験でやさしくなれるのか?

接客経験は、たぶん、人間を優しくしない。

SNSなどではよく「接客経験のある人は客に辛く当たられた経験があるから、クレーマーにならないし店員にも敬語になったり優しくする」という声が上がる。

だが、個人的にはこの図式が普遍的ではないと思っている。

 

・どれくらいの人が接客に従事している(いた)のか

この分類はすでに古いものと思うが、私がまだ高校を卒業する以前のころ、経済統計的上の第三次産業は主にサービス業従事者を指すものと教わった。

総務省統計局のHPを見ると、すでに今働いている人の半分以上が第三次産業に従事している。

視覚的にはこのグラフが分かりやすいかもしれない。

https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/timeseries/html/g0204.html#honbun

厚労省所管の労働政策研究・研修機構が公開しているグラフだ。私は統計学に暗いから、このグラフの見方や援用の方法が間違っている可能性があるが、これを見ると一目で現在の産業別就業者数が分かる。なるほど、4,000万人ちかくが第三次産業で働いている。

 

むろんこの数字は統計上のもので、実際に客商売(一般や業者間を含む)をしている人は、この中の半数と言ったところかもしれない。それでも2,000万人だ。また、学生時代のアルバイトやパートなどで接客経験のある人の割合は、おそらく人口の5割近くあるのではあるまいか。

 

・クレーマーが生まれる原因はなんだろう。

だが、現実問題としてクレーマーはと言われる人々は多数存在する。なぜだろう。

いくつかの原因が考えられる。まず一点目として、小型精密機器の所有率が跳ね上がった結果、今まで知られていなかった・撮れなかった暴れる客の実態が、カメラの前に晒されたという可能性がある。

昔のTVニュースでたまにクレーマーの映像が出ると、大抵の場合は監視カメラのぼやけた映像だった記憶がある。ところが最近は、YouTubeInstagramTwitterなどにアップされた、割と高画質で、近いところから、複数の人に撮影されたビデオが流れる。こういったクレーマーの実態が、高度に可視化された時代なのだ。

第二に、そもそも社会にゆとりが無いという実態もあろう。よく報道や政治家・官僚の発言で取り上げられるように、我が国では貧富の格差拡大が進行している。お金持ちはどんどん金を稼ぎ、貧乏人はさらに貧しくなっていくという塩梅式だ。

そして、お金の無い人は大抵人に頭を下げて生活している。仕事では愛想を振りまき、生活も苦しいから色々な人に借金したりして、下目下目に出ないと生活できない人も多い。だからこそ、自分が客になれる機会をとらえ、尊大な態度を取りたくなるというのが人情ではあるまいか。

 

・貧しさが人を追い詰め狷介にする

今から2,700年ほど前、中国は戦乱の世にあったが、この混乱を一時収めた名宰相である管仲が言った言葉を思いだそう。「倉廩満ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る」のだ。そもそも生活にゆとりが無いと礼儀やら他人への配慮はできない。

また、承認欲求も問題かもしれない。上述のように、日々自尊心を削って生活している人は、どこかでそれを満たす必要がある。それはクレーマーとして店員に強く当たり、謝罪を引き出すことかもしれないし、それを撮影してSNSにアップし、いいねを大量に貰いたいという欲求かもしれない。どこかのYouTuberみたいに、目立つために店員を虐げる例もある。結局は心も懐もさみしいのだ。

だから、人を優しくするのは接客経験の有無ではなく、持って生まれた、あるいは後天的に見に付けた思いやりであり、それは生活が豊かでないと発揮しづらい、ということにならないだろうか。クレーマーを無くすには小手先の経験ではなく、もっと大きく広い視点で物事を動かさねばならないだろう。